| 1970年 |
12月21日 神奈川県生まれ。 緑区中山で育つ。 |
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| 1983年 |
横浜市立中山小学校卒業地域の里山や原っぱで遊びまわる少年時代を過ごす。 秘密基地をつくったり、夏休みにはクワガタやカブト虫を捕まえるために雑木林の中を歩きまわったり。 当時はアウトドアの遊びが主流だった。 また、動物好きの少年であり、犬や猫をはじめいろいろな動物を飼育。 生き物の死に直面して、生命の尊さ・大切さを自然に学んでいた気がします。 |
| 1986年 |
横浜市立中山中学校卒業陸上部に入り、部活の日々を送る。 走り幅跳びをしていたので、当時彗星のごとく現れた世界陸上のスーパースター、カール・ルイス氏に憧れる。 |
| 1989年 |
神奈川県立白山高等学校卒業友人とともにロックバンドを結成、ボーカルとして活躍。 いまも恩師と仰ぐ山田先生との出会いが人生の転機となる。 山田先生の影響を受け、東南アジアや国際協力に関心を持つのもこの頃。 |
| 1994年 |
拓殖大学政経学部経済学科卒業東南アジア研究・石橋重雄先生のゼミに所属し、第二外国語はインドネシア語を選択、そしてインドネシア研究会でクラブ活動と学生時代はまさに「インドネシア一色」。 ~アパ・カバール?(Apa Kabar?) お元気ですか~~トゥリマ・カシ(Terima kasih.) ありがとう~NGOのネパール植林活動に参加。 フィリピンやバングラデシュで貧困自立支援プログラムを支援。 拓殖大学から国際協力助成金獲得。 会報に論文掲載。 |
| 1996年 |
大学卒業後、インドネシア・バリ島で語学研究・現地調査を行う。 しかし、自分の力の無さを痛感して帰国。 進路を模索していた1996年に転機が訪れる。 |
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恩師の山田先生の紹介で、地元の旧神奈川7区(港北・都筑・緑区)から衆議院議員選挙にチャレンジするために準備を進めていた危機管理の専門家・首藤信彦先生に出会う。 |
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首藤先生の信念と活動に共鳴し、ボランティアスタッフとして選挙を応援。 落選という苦杯をなめたが、次につながるものとなった。 この活動を通して様々な人に出会い、影響を受けるなかで、もう一度大学へ戻り、インドネシアについて学ぶ決心をする。 |
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| 1999年 |
拓殖大学大学院経済学研究科博士前期課程修了専攻は、国際経済(東南アジア経済・インドネシア地域研究)。 修士論文のテーマは、『インドネシアにおける持続可能な観光開発』。 環境や伝統文化を守りながら雇用創出や外貨獲得などの経済効果が期待されているエコ・ツーリズムや農村観光などのオルタナティブ・ツーリズムの可能性を研究。 |
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NGO市民政策バンド事務局長に就任市民政策バンドは、首藤先生が主宰するNGOのひとつ。 「市民の政治参加、市民による政策提言、そして市民のためのシンクタンク」をめざしている。 地域の環境や教育、若者世代の夢や女性の起業、中高年世代のリタイアした後のもうひとつの生き方(海外暮らし)などをテーマにフォーラムを主催。 また、落語という伝統芸能を通して、いまの社会や政治のあり方を再考しようという試みのひとつである「よこはま寄席 〈現代社会風刺落語会〉」を都筑で開催。 |
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| 同年6月のインドネシア総選挙において、民主化支援NGOインターバンド-ANFRELの一員として選挙監視活動に参加。 | |
| 2000年 |
首藤信彦 衆議院議員公設秘書同年6月の衆議院議員選挙で、首藤先生が初当選を果たす。 毎朝の駅頭演説活動の準備と応援演説、ポスター貼り、政策チラシのポスティングなど1年近くに及ぶ地道な活動が実る。 当選が決定したときの感動と達成感は忘れられない。 以後、公設秘書として、首藤信彦衆議院議員の活動をサポート。 |
| 2003年 |
横浜市会議員初当選 [都筑区]
「ジバン・カンバン・カバン」のない若者が世代を超えた市民の応援により、初当選を果たす。 まさに私が実現をめざす「駅伝型地域社会」を実感した瞬間でした。 猛暑の中汗を拭きながら、また寒い中凍えた手に息を吐きかけながら、愛車のマウンテンバイクを駆って駅頭・街頭で演説活動を続けた“原点”は忘れません。
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| 2004年 |
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| 2005年 |
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| 2006年 |
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| 2007年 |
横浜市会議員2期目当選 [都筑区]真価の問われる難しく厳しい2期目の選挙戦。 従来型の組織選挙とはまったく違うやり方で、「私からあなた」へ、「個人」から「個人」へと強い想いを「駅伝」のタスキのように伝え、クロスジェネレーション(世代間連携)を実践した市民型選挙を展開。 世代を超えた多くの皆様からの応援をいただき、1,0379票のご支持を得て、トップ当選。
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| 2008年 |
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| 2009年 |
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| 2010年 |
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